アルバムには無い写真

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フィルムをスキャンし見つけたアルバムには無い一枚。
自転車で魚を売る行商人、天秤ばかりで魚を量っているその表情が良いですね。
なれないカメラを向けられ照れているのかも。

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当時住んでいた田代町、その自宅隣の床屋さんを写した一枚。
先の投稿、中頓別鍛冶屋さんをはじめとし、ボツにするにはもったいない写真がありました。

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北海道中頓別

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道北中頓別の鍛冶屋。真剣なまなざしと血管の浮き出た鍛えられた腕に、その場の緊張感が伝わってきます。この写真はアルバムには無くネガフィルムをスキャンし発見した一枚です。

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秋まき小麦の脱穀風景。現在は大型コンバインで一気に刈り取り、後に残る麦稈ロールが夏の風物詩となっています。

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道産子。麦の脱穀作業の写真右に働く馬が写っています。

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家族そろってピクニック。アルバムには豊泉牧場にてとあります。ここでも1匹の羊が写っていますが、他の写真では多くの羊が放し飼いにされ新しい切り株が見えます。新しく開墾された牧場なのでしょう。

 

アイドル

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アルバム我が家の記録No2からスキャンしたトップを飾る一枚。
これを見た家内から「土門拳みたい」と一言、
当時のこども達の表情をとらえた土門拳に通じるものがあったのでしょう。

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田代小学校の鉄棒で遊ぶ姉達。
この時期からフィルムはブローニー判となりスキャンした画質も良くなりました。

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こちらは翌年昭和31年撮影ですが今回の投稿に加えた一枚です。
構図はもちろん、フィルムが貴重で連写などできない時代に、この瞬間をとらえた技術力に感服します。

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でも、私の一番のお気に入りはこれです。
大木に寄り添う姉二人の表情、その情景を撮っている父の気持ちが伝わってきます。
当時の父にとって、子供達の様々な表情を写し取るのが一番の楽しみだったと思います。
初孫に恵まれ、その気持ちがもっと理解できるようになりました。

トップページ

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昭和28年、撮影地は北海道布部の蜂場。
吊り橋と蜜箱に腰掛け前方を見つめる二人。空には青空に浮かぶ白い雲。父が蜂場を撮った写真の中で一番のお気に入りです。以前はホームページのトップを飾っていました。
今となってはこの蜂場の詳しい場所を確かめることはできませんが、吊り橋の架かる川は空知川でしょう。二枚目、吊り橋の向こうに見える山は芦別岳かな。

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蜜箱をはこぶ

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昭和28年4月、鹿児島高須駅、蜜箱の積み込み作業
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5月、新潟長岡駅
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6月、蜜箱を積んだ貨物車ごと青函連絡船に乗り込み北海道へ渡ります。
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10月、北海道新得駅、蜜箱の積み込みが終わり食事中、
これから鹿児島へ帰ります。

この年は鹿児島から岩手県平津戸、海を渡り北海道は布部から新得へと養蜂の旅の記録が残っています。現在は蜜箱の輸送は大型トラックを使いますが、当時は鉄道を利用していました。今より輸送に日数がかかり大変だったそうです。

採蜜のようす

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採蜜のため巣板を振って蜜蜂を払い落とします。
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ハケを使い残った蜜蜂を払い落とします。
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巣板の蜜ブタを切り、手動の遠心分離機にかけ蜂蜜を取り出します。

撮影は昭和26年、鹿児島県肝属郡田代村川原別の蜂場。
蜂場での写真は、そのほとんどが休息中に撮られたもので、作業中の写真はわずかしかありません。仕事中は忙しく写真を撮るヒマも無いでしょうから当然ですね。
そのような中でこの写真は撮影されました。当時の採蜜作業を伝える珍しいものです。
また、ネガフィルムが残っていたので退色の無い状態でお目にかけられます。

遠心分離機が手回しからモーターになったくらいで、現在でもその作業内容にほとんど変わりはありません。採蜜についてさらに詳しくははちみつが採れるまでをご覧下さい。

戦後すぐ

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静岡みかん蜂蜜の蜂場
S21-7糠内蜂場1S21-7-2糠内蜂場

北海道幕別町糠内の蜂場、どちらの蜂場も昭和21年に撮影されました。
昭和21年と言えば戦争の終わった翌年です。
戦時中から甘い物は貴重品。東北ではお米と、北海道では新巻鮭やスルメなどと
蜂蜜を物々交換をし食糧には困らなかったと聞きました。
ちなみに蜂蜜1升とお米1斗を交換できたそうです。
ただ、それだけの貴重品ですから輸送中に中身を抜かれることもあったので、
背中に蜂蜜一斗缶を2つを背負い、両手には一斗缶を1つずつ、
一斗缶1つで缶の重さを入れ25㎏あるので総重量は100㎏にもなります、
これを持ちながら養蜂の旅を続けたそうです。

S21ラワンブキ
足寄町螺湾のラワンぶき、こちらも昭和21年に撮影

最初の写真

img063S22静岡紫雲英採蜜

アルバムに蜂場が登場した最初の写真。
昭和20年5月、静岡紫雲英採蜜とあります。
静岡の蜂場でレンゲの蜂蜜を採っている様子。
写っているのは母、養蜂家にとっては昔も今も家族は重要な働き手です。
その姿は着物ともんぺ、素手で裸足に草履を履いています。
今は養蜂の作業にゴム手袋と長靴は必需品です。
でも、当時は物の無い時代でした。

きっかけの1枚

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押し入れの大掃除で出てきたブローニー判のカラーポジフィルム。
紙製のスライド枠には「お店の前 昭和31年1月」と書かれています。
カラーフィルムが一般的に普及するのはまだまだ先、残されたフィルムの中で次にカラーフィルムが出てくるのは昭和38年からとなります。この他に4枚のカラーフィルムがあり、家族皆の正月写真や姉たちの遊ぶ様子が写されています。
押し入れに長期間置かれたために、カビが生えたり化学変化のためかムラができたフィルムもあります。当時としては珍しいカラーフィルムが、このまま劣化してゆくのは忍びなくデジタル化を思い立たせたきっかけの1枚となりました。

撮影地 鹿児島県肝属郡田代村 現錦江町

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